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サル真似をやめ市独自のパフォーマンスの考案を!

autumn_festival.jpg 散歩してたら「2011さがみはら秋の祭典」のポスター(写真)。市の観光課が関わっている。そこに紹介されている市内各地域7つのイベント。

 まてよ。その内のひとつは「相模原よさこいRANBU」(古淵駅周辺)とある。もう一つは「ねぶたカーニバル」。
こちらは何と市役所の横からアイワールド方向へ通じる大通りにて。
誰がどのような意図で命名したのかリバティ通り。

 これだけ見ても、この企画が如何に思慮分別がなく陳腐なものかがわかる。
 企画趣意書を拝見したいものだ。このイベントの目的は何なのか!
 なぜ唐突に相模原に「よさこい」と「ねぶた」なのか!? 
 市のホームページでは「ねぶた」は秋田の能代市が友好都市であるから、との理由である。

 では同じ友好都市のトロントや無錫、トレイル関係のイベントがないのは、どう説明するのかね。

 これまでにも何回も言ってきたが、市の企画にはいつも「目的」も「戦略」も感じられない、単に具体案の思い付きだけ。こんなものは三流高校の文化祭レベルだッちゅうの。企画提案者と承認者のツラをとくと拝顔したいものだ。

 企画の「趣旨」、「目的」、「よさこい」と「ねぶた」に至った合理的な理由を市のホームページへ公開すべきだ。委託業者の入札もちゃんとしたんでしょうね、「丸投げ」ではないでしょうね。いつも言うけど。

 「よさこい」や「ねぶた」の「本家の」踊りやディスプレイ、演出が素晴らしいのは言うまでもない。だから彼の地でそれなりの歴史があり、観光客を集めており、地域振興に一役買っているのであろう。

 それを現代流にアレンジしたダイナミックさが人々の関心を呼ぶのは良ししよう。しかし、それをそのまま持っ
てきて、70万人市民の文化イベントに加えるのは如何にも芸がない。

 もし、そのような踊りパフォーマンスが必要だという必然性があるなら、相模原独自の踊りを考案したらいいではないか。現行パフォーマンスの人受けする要因分析をし、それに相模原ならではのアイデアを加味して、それらを凌駕するダンス・パフォーマンスを考案したらいいじゃないか。

 流行りの旗や鳴り物、和太鼓も加えたら良いだろう。そして踊り手は「相州舞踏団」とか「照手姫舞踊連」とか、かっこいい名称にし、その全地区競合パフォーマンスをリバティ・ストリートで展開すればどうだろう。本場の阿波踊りやよさこいのようにである。

 本場の真似だけの安っぽい芸能なんて、サルの方がよっぽど上手いと思う。
 第一、相模原市民としてそんな安手の芸能を持ってして満足するような輩(やから)が多いことを嘆きたい。

急増人口の阻止と景観の保護

 市制を敷かれた昭和20年代後半は、人口は8万人だった。それが今や72万人、9倍となってしまった。

 これはノー・コントロールで増えるに任せていいものか?
 人間が住むにふさわしい住宅への配慮、大火災未然防止の対策などをしなくていいのか?
 市当局は、人口増加に基本的な方針を持っているのか? 公表しているのか?
 危機感を感じている市議会議員はいるのだろうか?
  

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 クルマやチャリンコを捨てて、2時間も市内のどこでもいいから歩いてみてはどうか?
 延々とアスファルト道路が続き、うんざりする。

 もはや新築住宅建設の余地は、現存の希少な農耕地や自然林を破壊するしかないと思われる。毎日歩いてよくわかる。

 その道路の両側は、ほとんどが建坪20坪ほどの建売住宅。庭はなく、かろうじてクルマ1台分のコンクリートで埋め尽くされた駐車スペースがあるだけだ。たまに出現する家庭菜園にホッとするものを感じる。

 こんなところで、子供をどうやって育てるのかね。ヨチヨチ歩きの頃、転んだところがコンクリートじゃ笑うにも笑えない。憲法でうたっている「健康で文化的な生活」は出来ない。こんな住宅に住んでいては思考形態も変調をきたすに違いない。

 こういう住宅建築を許可するのは建築基準法や市の建築基準条例だろう。建蔽率をどのような基準で決めているのか。それ以前に、市として、新築住宅に対してどのようなフィロソフィー(哲学)を持っているか、それを質したい。
 人口増大で、税収が増加すればいい、位にしか考えていないように思える。

 たとえば東海沖地震や都心直下型地震等が発生して、水害はないにしても、火災があちこちで発生したらどうなるのだろう。歩いてみると平日に日中でも駐車スペースを有する住宅の半分、大きな駐車場でもほぼ半分くらいはクルマが駐車している。当然、クルマはガソリンタンクを有している。

 いったん火災が発生すれば、現状の建蔽率では火災地域は次々に拡大し、明治初期の「銀座の大火」のように、1日で広大な面積が灰塵に帰する事は、火を見るより明らかであろう。

 基本的な新築住宅建築のフォロソフィーに基づいた、新築戸建て住宅の規制強化、8階以上の高層建築の禁止等、早急に手を打つ必要がある。

 現在、市の建築基準条例では、建物の高さは10mまでと決められている。ただし、建築審査会の同意があれば市長はそれ以上に高い建築物を承認できる。建築審査会は、都市計画、法律、建築、公衆衛生、および行政の専門家(大学教授、弁護士、県の建築課長など)5人で構成されている。

 相模原の自然保護、美的景観の保護などの視点が欠落しているように思えるが、上記「都市計画」の中に含まれているのかなぁ。

 JR相模原駅前の高層ビルや市内の10m以上の集合住宅は、明らかに景観を損ない、丹沢山塊などは見えにくくしている。これも市長がOKしたのかなぁ。

P.S.写真は、旧キャンプ淵野辺近辺に保存されている、相模原の原生林。(画像クリックで拡大します)

加山市長の同級生

CA3J0086[1] 野田佳彦・民主党代表が第95代内閣総理大臣になった。

 党役員は、片足を刑務所に入れたような小沢氏のグループからも起用しないと、この国難期を乗り切れないということで、輿石東を起用した。小沢の党員資格停止をチャラにしよう考えている人物だ。

 いっぽう閣僚の方も小沢派閥に要職を、ということになると、国政は回らんだろう。ということで官房長官には自分の側近を選んだ。自分より年長で、地味だが仕事にはそつがないという。

 さて、つらつら考えるに、わが相模原の加山俊夫市長には、そのような女房役のような人物やブレーン陣がいるのか、チョイト気になる。前々から指摘しているように、市の先をしっかり見据えたような行政の方向が不明確だからだ。

 例えば、市の自然景観を保持しようとする姿勢が皆無かのように、これまでに市の地面の大部分をコンクリートで覆うことを許容しているし、必要以上に高いマンションの建設(例:水郷田名やJR相模原駅前の高層マンション)を放置している。政令都市指定の記念イベントも三流高校の文化祭並みだった。

 と思っていたら、先日、市内の酒場で、加山市長と小中学校が同期、俺、御前で呼びあえる仲だという御仁に出会った。市長は、向陽小学校、旭中学校、相原高校へと進んだ。

 普通、著名人と知り合い、という連中には、それだけが取り柄で、おつむの方が少し軽めの輩が多い。

 しかし彼は、ま、仮にT氏としよう、T氏にはそんな雰囲気は微塵もなかった。二人で、相模原の来し方行く末を存分に語ることが出来た。楽しい酒だった。T氏のような人を中心に市長へのアドバイザリー・グループ(助言班)を構成し、市井(しせい)の声を聞いたもらったら良いだろう。

 市長は、良い旧友を持っている。

P.S. 例によって写真と記事は関係ありません。散歩の途中で携帯で撮りました。

相模原合衆国

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 星が丘地区は、戦時中から相模陸軍造兵廠の従業員などの住宅用に県が造営した住宅地だ。終戦後、住民に有料で払い下げがあり、現在では土地は個人のものになっている。当時、左右対称の2軒1戸建ての建物は、時代とともに建てなおされてきている。

 当時、相模原の中心は、現在のJR上溝駅西側に位置し、町役場や警察等官庁があった。同駅から坂を上がると星が丘へ出るが、当時は住宅の周りはすべて畑地と雑木林だった。高い木もなく、淵野辺方面への見通しは良く、夜には狐がポーン、ポーンと畑を跳ねまわっていた、と父から聞く。

 終戦前、星が丘のような新しい住宅ができる前から、この地に定住していた人達を相模原の原住民と呼んで良いだろう。ずっと下って、市制が敷かれた昭和29年ごろまでにこの地にすむようになった人たちはネオ原住民と言えるかもしれない。

 しかし、いまや人口72万人の政令指定都市だ。松尾芭蕉が「かげろふや柴胡の糸のうす曇」とひねり、「柴胡の原」と言われた相模原は、その柴胡(正しくはミシマサイコだそうだ=写真)は今や、相模原原住民とともに絶滅危惧種だ。オーストラリアのアボリジニやアメリカインディアンのような少数民族のように、行政の保護を受けることもない。

 相模原の原点を見つめ、良き習慣(ならわし)、民俗芸能、建造物等々の保護は大事だ。しかし、増え行く流入市民はいかんともしがたい。これにより新しい文化が醸成されて行くのは人類学上極めて当然の成り行きだろう。

 市政の要は、このような言ってみればアメリカ合衆国のような多民族シティをどのように統治して行くかだ。政令指定都市により予算と権限を県から移譲を受けたは良いが、このコントロールは難しい。知性と教養、国際感覚と実行力のある市長が望まれる。

ふるさと相模原の祭り

駐車場提案
 70万人の政令指定都市となった相模原。祭りの季節となった最近では、流入してきた人達により「沖縄祭り」とか「阿波踊り大会」とか、当地相模原には全く関係ないイベントを(相模原の)「ふるさと祭り」に仕立て上げて楽しんでいる。

 それはそれで、快く受け止められないが止めることはできない。オーストラリアのアボリジニや北米のインディアンは、その地の先住民族だが、相模原が市になる以前からこの地に生活していた相模原のアボリジニとしては、この地に古くから伝わる文化遺産としての各種の祭りを、後世に丁寧に伝承して行きたい。

◆ 上溝の夏祭り:

 相模原の、古くからある祭りで有名なのは、上溝の夏祭りであろう。旧相模原町の中心地であった上溝で毎年7月の末に行われる。県北最大の祭りともいわれ、神輿20基、山車8台が繰り出し盛況を極める。子供のころから60年以上も親しんできている。

 この祭りの良いところは、縄などで観客と神輿や山車を分けないことだ。狭いからかもしれない。だからと言って神輿や山車が観客に当ってけが人が出たという話も聞かない。人は状況に応じて「自然調整」が働くのだ。

 起源は明らかではないが、神輿に記された製造年月などによれば、古いものは1830年ごろ、多くは江戸末期から続いているそうだ。

◆ 相模の大凧:

 これも子供の頃からよく行った。8間四方の大凧は日本一だそうだ。当時は蓮華が咲き乱れる畑だか田んぼで展開された。壮大な男祭りともいえよう。これは江戸時代の天保年間(1830年頃)に始められたそうだ。現在では保存会もあって、伝統的な祭りの保存が行なわれている。

◆ 相模原納涼花火大会:

 田名の高田橋近辺で開催されるこの花火大会は、戦後間もない1951年に田名の復興を願って開催された。1971年に相模原市の市制20周年を記念して市が主催する市民祭りとなった。

 しかし、なんだなぁ、会場近辺のあの高層ビルはなんなんだね。水郷田名の景観が台無しだな。景観保護のために何故反対運動が起こらなかったのか! どうか、高層ビル取り壊し運動が起こることを願う。

 水郷田名の水と緑の景観は、ひとり田名地区だけのものではなく、相模原市民みんなの自然資源であることを忘れないで欲しい。

◆ 橋本の七夕:

 この七夕祭りは、今年60周年を迎えるそうだ。子供の頃は、その装飾は1か月前の仙台の七夕の「お古」だといわれていたが、現状はわからない。県下では平塚の七夕とともにその名を知られている。

 この七夕祭りには、市の商業観光課、市、県もからみ、地元の商店会、観光関係企業などで実行委員会が編成され、その実行に当っている。

 専用のホームページも立ち上がっているが、この七夕の起源などは明らかにされていない。この説明なくしては祭りの意味も不明だな。

 ただ、飾りの通りをそぞろ歩きして、駄菓子をつまんでビールをあおって、それでオシマイッ! 軽薄さを払拭しきれない。

 このイベントを仕切らせているのが大道舎だ。なるほど、例の政令指定都市を祝うグランド・フィナーレを仕切ったところだ。前にも書いたが、あのイベントにはフィロソフィー(哲学)がなかった。

 今回の橋本七夕祭りも同じやり口。準備して、騒いで、打ち上げ飲み会をやって、ハイ、よかったね、という三流高校の文化祭レベルのイベント仕切りだ。情けない。競合入札はしたんでしょうね。

 ま、良かれ悪しかれ、相模原の歴史ある大きな祭りは以上の4つかな。

 新規流入市民が、相模原でネプタや花笠踊りのまねごとで、相模原ではなく自分の故郷を思い出すのは勝手だが、相模原のアボリジニとしては、当地に古くから伝わる文化遺産を大事にしたい。

P.S.
写真は本文とは関係ありません。駐車場はコンクリートで塗り固めないで、このようにしましょう!という提案です。
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