●加山市長政権の最大失策 取り返せない自然破壊
11月28日にも書いた樹齢50-60年の街路樹(市の木「ケヤキ」)約200本の伐採は、現加山市長の政治人生最大の失策となろう。どんな素晴らしい実績を残そうと、この一件ですべてパアだ。
条例公布や制度改革は、後刻、訂正や削除、原状復帰が可能だ。しかし、「市の木」の大木約200本の伐採は、もう、取り返しがつかない。相模原に緑を、と願った先人たちの思いは無残に踏みにじられた。環境破壊、景観破壊の罪は償いきれない。
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相模川の河岸段丘の最上段に位置する中央区星が丘の周りは、何もない畑地だけだった。第2次大戦中に相模陸軍造兵廠へ勤務する従業員向けに、畑地の中に約600戸の県営住宅が建築された。これが星が丘の始まりだ。
周りには建物は何もなかった。県道52号(スーパーOKの前を上溝から淵野辺へ伸びる道路)より南、県道507号(通称・村冨線、OKの脇を南北に走る)の東、とんでん星が丘店から県相へ抜ける通りの北、そして市役所から上溝へ抜ける通りの西側には、畑以外、何もなかったのだ。
つまり、この4本の道路に囲まれた地域が、星が丘の「旧住宅地」である。もちろんいずれの道路も砂利道。県道52号などは田名の相模川で採取した砂利を積んだトラックが、何台も列をなして、モウモウと砂ぼこりを立てて毎日走っていた。
現市役所通りにはもちろん植木1本もなく、星が丘から16号線までに大きなロータリーが3つもあった。星が丘からは16号線を走るクルマが眺められたものだ。西には大山と丹沢山塊があり、今はこもれびの森として往時のままを保存されている林があり、われわれ棒きれを振り回して飛び回っていた少年たちには、格好の「冒険」地域だった。
そういう畑と雑木林しかない相模原に、計画的に街路樹を植え、将来の緑化住宅地を目指したわれわれの父親世代は、ボランタリ-で労力を提供し、県道52号にはケヤキを、市役所通りには桜を、星が丘小学校にはイチョウを植林したのであった。
今では、それらの木々は大きな樹木となり、市役所通りは市民が喜ぶ桜通りに、星が丘小学校では夏の緑陰や秋のギンナンの収穫で子供たちを喜ばせ、52号の「市の木」のケヤキ並木は、四季を通して市の道路を象徴する存在だった。
そのような先人たちの志と労力を一顧だにせず、200本も一気に伐採するとは一体どういう了見なんだろう。既に県政レベルで決定したことを、政令指定都市となり引き継ぎ事項だと言い、「はい、そうですか」とそのまま鵜呑みにするとは、どういうことなんだ。
これは、市長をはじめとして市職員が、市の行く末をチャント考えていない証左と言える。相模原市の職員は、最近、経済産業省を辞任した古賀茂明氏の近著「官僚を国民のために働かせる法」で活写されている霞が関官僚の無能官僚以下と言っても過言ではない。
その内、市役所通りの桜並木の花びらの清掃や星が丘小学校のイチョウの枯れ葉の清掃が大変だから、ぜ~んぶ切っちゃえ、なんていう状況が来ないことを祈りたい。
相模原は筆者の生まれ故郷である。よそから移住してきた人達は、もし自分の田舎の神社やお寺の、昔からある大木が、後から移住してきた人達の意見でぜ~んぶ切り倒されても平気なのかなぁ。
加山市長は、在任中にどんなに素晴らしい実績を残そうとも、この大罪は決して原状復帰できないし、むしろマイナス評価の市長としてその名を残すであろう。
条例公布や制度改革は、後刻、訂正や削除、原状復帰が可能だ。しかし、「市の木」の大木約200本の伐採は、もう、取り返しがつかない。相模原に緑を、と願った先人たちの思いは無残に踏みにじられた。環境破壊、景観破壊の罪は償いきれない。
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相模川の河岸段丘の最上段に位置する中央区星が丘の周りは、何もない畑地だけだった。第2次大戦中に相模陸軍造兵廠へ勤務する従業員向けに、畑地の中に約600戸の県営住宅が建築された。これが星が丘の始まりだ。
周りには建物は何もなかった。県道52号(スーパーOKの前を上溝から淵野辺へ伸びる道路)より南、県道507号(通称・村冨線、OKの脇を南北に走る)の東、とんでん星が丘店から県相へ抜ける通りの北、そして市役所から上溝へ抜ける通りの西側には、畑以外、何もなかったのだ。
つまり、この4本の道路に囲まれた地域が、星が丘の「旧住宅地」である。もちろんいずれの道路も砂利道。県道52号などは田名の相模川で採取した砂利を積んだトラックが、何台も列をなして、モウモウと砂ぼこりを立てて毎日走っていた。
現市役所通りにはもちろん植木1本もなく、星が丘から16号線までに大きなロータリーが3つもあった。星が丘からは16号線を走るクルマが眺められたものだ。西には大山と丹沢山塊があり、今はこもれびの森として往時のままを保存されている林があり、われわれ棒きれを振り回して飛び回っていた少年たちには、格好の「冒険」地域だった。
そういう畑と雑木林しかない相模原に、計画的に街路樹を植え、将来の緑化住宅地を目指したわれわれの父親世代は、ボランタリ-で労力を提供し、県道52号にはケヤキを、市役所通りには桜を、星が丘小学校にはイチョウを植林したのであった。
今では、それらの木々は大きな樹木となり、市役所通りは市民が喜ぶ桜通りに、星が丘小学校では夏の緑陰や秋のギンナンの収穫で子供たちを喜ばせ、52号の「市の木」のケヤキ並木は、四季を通して市の道路を象徴する存在だった。
そのような先人たちの志と労力を一顧だにせず、200本も一気に伐採するとは一体どういう了見なんだろう。既に県政レベルで決定したことを、政令指定都市となり引き継ぎ事項だと言い、「はい、そうですか」とそのまま鵜呑みにするとは、どういうことなんだ。
これは、市長をはじめとして市職員が、市の行く末をチャント考えていない証左と言える。相模原市の職員は、最近、経済産業省を辞任した古賀茂明氏の近著「官僚を国民のために働かせる法」で活写されている霞が関官僚の無能官僚以下と言っても過言ではない。
その内、市役所通りの桜並木の花びらの清掃や星が丘小学校のイチョウの枯れ葉の清掃が大変だから、ぜ~んぶ切っちゃえ、なんていう状況が来ないことを祈りたい。
相模原は筆者の生まれ故郷である。よそから移住してきた人達は、もし自分の田舎の神社やお寺の、昔からある大木が、後から移住してきた人達の意見でぜ~んぶ切り倒されても平気なのかなぁ。
加山市長は、在任中にどんなに素晴らしい実績を残そうとも、この大罪は決して原状復帰できないし、むしろマイナス評価の市長としてその名を残すであろう。