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相模原合衆国

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 星が丘地区は、戦時中から相模陸軍造兵廠の従業員などの住宅用に県が造営した住宅地だ。終戦後、住民に有料で払い下げがあり、現在では土地は個人のものになっている。当時、左右対称の2軒1戸建ての建物は、時代とともに建てなおされてきている。

 当時、相模原の中心は、現在のJR上溝駅西側に位置し、町役場や警察等官庁があった。同駅から坂を上がると星が丘へ出るが、当時は住宅の周りはすべて畑地と雑木林だった。高い木もなく、淵野辺方面への見通しは良く、夜には狐がポーン、ポーンと畑を跳ねまわっていた、と父から聞く。

 終戦前、星が丘のような新しい住宅ができる前から、この地に定住していた人達を相模原の原住民と呼んで良いだろう。ずっと下って、市制が敷かれた昭和29年ごろまでにこの地にすむようになった人たちはネオ原住民と言えるかもしれない。

 しかし、いまや人口72万人の政令指定都市だ。松尾芭蕉が「かげろふや柴胡の糸のうす曇」とひねり、「柴胡の原」と言われた相模原は、その柴胡(正しくはミシマサイコだそうだ=写真)は今や、相模原原住民とともに絶滅危惧種だ。オーストラリアのアボリジニやアメリカインディアンのような少数民族のように、行政の保護を受けることもない。

 相模原の原点を見つめ、良き習慣(ならわし)、民俗芸能、建造物等々の保護は大事だ。しかし、増え行く流入市民はいかんともしがたい。これにより新しい文化が醸成されて行くのは人類学上極めて当然の成り行きだろう。

 市政の要は、このような言ってみればアメリカ合衆国のような多民族シティをどのように統治して行くかだ。政令指定都市により予算と権限を県から移譲を受けたは良いが、このコントロールは難しい。知性と教養、国際感覚と実行力のある市長が望まれる。
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