●机作業と実作業の乖離 架空の景観法
県道(JR上溝駅-JR淵野辺駅間)の両側の「(相模原)市の木」ケヤキ200本の根元からの伐採という「暴挙」は、加山市政の末代に残る愚策である事は、このブログで何回も指摘してきた。
平成16年には国が景観法(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E8%A6%B3%E6%B3%95)を制定しているが、相模原市ではこれに対してどのように対応しているのか。
チェックして見るとなぁ~んだ、平成22年に「相模原市景観計画」なるものが策定されているではないか! しかもその「景観計画の区域」は「相模原市全域を景観計画の区域」と制定している。
ということは国政同様、官僚が机作業(デスクワーク)では立派な基準を作ってはいるが、実作業(ワーキングレベル)では、そんなことはお構いなしに、重要樹木は伐採するし、景観を損なう高層住宅は建てるということをやっている、ということだ。つまり市政にコンシステンシー(統一性)が無い、ということになる。
どうして現場(土木部)が、制定法(国法)に関わらず景観を損なうことをしているかというと、重要樹木伐採にせよ、景観を損なう異様建築物の建設にせよ、最終的には市長の判断でどうにでもできる、ということが、各種手続きを読んでみるとわかる。
結局は、加山市長(67)の知性・教養、感性の問題ではないのかなぁ。
添付の新聞記事(クリック>>>拡大)を見て欲しい。今年3月9日付の神奈川新聞だ。平塚市が景観法に基づき「景観重要樹木」の第1号を指定したというのだ(拍手)。落合克宏平塚市長(54)の好判断を評価したい。
この写真はわずか50本であるが、相模原市の県道(JR上溝駅-JR淵野辺駅間)の両側の「(相模原)市の木」ケヤキは、200本。ゆくゆくはこの写真の4倍の大自然ができるはずだった。
何回も言うが、大型樹木の伐採は、法令の立法や行政と違って、やり直しや訂正がきかないのだ。その大罪を加山市長は犯し続けている。彼にとっての唯一の救いは、まだ残っているケヤキの伐採中止を即刻、市長権限で決める事だと思うがどうだろう。
平成16年には国が景観法(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E8%A6%B3%E6%B3%95)を制定しているが、相模原市ではこれに対してどのように対応しているのか。
チェックして見るとなぁ~んだ、平成22年に「相模原市景観計画」なるものが策定されているではないか! しかもその「景観計画の区域」は「相模原市全域を景観計画の区域」と制定している。
ということは国政同様、官僚が机作業(デスクワーク)では立派な基準を作ってはいるが、実作業(ワーキングレベル)では、そんなことはお構いなしに、重要樹木は伐採するし、景観を損なう高層住宅は建てるということをやっている、ということだ。つまり市政にコンシステンシー(統一性)が無い、ということになる。
どうして現場(土木部)が、制定法(国法)に関わらず景観を損なうことをしているかというと、重要樹木伐採にせよ、景観を損なう異様建築物の建設にせよ、最終的には市長の判断でどうにでもできる、ということが、各種手続きを読んでみるとわかる。
結局は、加山市長(67)の知性・教養、感性の問題ではないのかなぁ。

この写真はわずか50本であるが、相模原市の県道(JR上溝駅-JR淵野辺駅間)の両側の「(相模原)市の木」ケヤキは、200本。ゆくゆくはこの写真の4倍の大自然ができるはずだった。
何回も言うが、大型樹木の伐採は、法令の立法や行政と違って、やり直しや訂正がきかないのだ。その大罪を加山市長は犯し続けている。彼にとっての唯一の救いは、まだ残っているケヤキの伐採中止を即刻、市長権限で決める事だと思うがどうだろう。
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