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●相模川の河岸段丘

このブログに書かれていた「河岸段丘(かがんだんきゅう)ってなんですか?」というご質問をいただきました。

kagandankyuedited.gif クリックで図拡大

 「河岸段丘とは、河川の中・下流域に流路に沿って発達する階段状の地形」(Wikipedia)です。「平坦な部分と傾斜が急な崖とが交互に現れ、平坦な部分を段丘面(だんきゅうめん)、急崖部分を段丘崖(だんきゅうがい)と呼ぶ(Wikipedia)。

 相模川にも河岸段丘があり、相模原はその最上段に広がる自然豊かな平原でした。いまは市の無政策のお蔭で、庭もないような小さな住宅が密集しているところが多くなりました。

 相模川は、JR藤野駅のやや西側から相模原市に入り、高田橋の少し上流まで左岸、右岸とも相模原市です。左岸、右岸とは川の上流から下流を見て左側が左岸、右側が右岸です。高田橋から下流では、左岸のみが相模原市となります。

 Google Earth で海抜をチェックすると、高田橋入口で60m。その東にある水郷田名地区はやや下がって55m。そこから上記にある段丘崖を登ると、平らな段丘面に出ます。ここの海抜は100mで、田名中学校や上溝高校があるところです。

 相模線の上溝駅のところから上溝中学校の正門への急坂を登ると、そこは同中学校のグランドで、ここは海抜120mとなります。

 同中学校の下から更に坂を登ると、また段丘面となります。現在はスーパー・アルプスのあるところですが、昔はこの一帯は畑だけで何もなく、いまもあるタイヤ専門店が1軒、ポツンとあったものです。

 この段丘面の海抜は、星が丘小学校で126mです。いわゆる相模原はこの段丘面で、一律に海抜126mではなく、JR相模原駅近辺では海抜131mとなっており地域により若干の凸凹はあります。

 虹吹の道保川公園から北へ、上溝中学校からさらに北へ延びる段丘崖は小さな水辺や小川、自然の雑木林などが連なり、私らが鼻たれ小僧のころは絶好の遊び場でした。

 このように相模川の左岸には段丘面と段丘崖が繰り返され、きれいな河岸段丘が形成されています。
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●加山市長最後の選択

 本ブログの存在を、メールアドレスを公開している30名の市議会議員にご案内した。

 早速、翌日にひとりの議員さんから返信があった。外資系企業にいた頃のような反応の速さに清々しいものを感じた。その方のお名前をここで公開して、万が一にもご迷惑がかかるといけないので仮にA氏とする。A氏の議会発言とホームページを拝見した。

 A氏は市当局に事実経過を確認して下さり、工事中止は不可能である旨、お知らせいただいた。また、元八王子市長の波多野氏が同様な状況に於かれた時、自然の大切さ、樹木の大切さを市民の前面に立って説得するからと、市職員を励まし、住民から伐採要望のあったケヤキは残った、との逸話も添えていただいた。

 私は波多野元市長の話を聞き、その姿勢は首長というより人間として至極当然だと思った。住民エゴを説得するというリスクを敢えて背負った波多野氏こそ首長に相応しい人材であると思った。

 首長は行政運営上の確たるフィロソフィー(哲学)を持つべきだと思う。市議会議員も同様である。それなくしては単なる事務処理屋に過ぎないだろう。県政レベルで決定したからと言って、それをそのまま丸飲みするのは愚の骨頂である。そんなことで72万人市民の人間らしい住環境を保証できる訳はなかろう。

 人口を無制限に増やし、税収増を喜び、住民(有権者)エゴの前には自然保護、環境保護も一顧だにしない現市行政では、市民のこころ豊かな生活は構築できない。

 加山市長の在職中の他の実績は、この1件でオセロのようにすべて裏返され、後世にはマイナスのイメージしか残るまい。汚職で投獄され獄中から市議会解散を叫んだ、某元市長と同列に連なることになるだろう。

 もし加山市長が政令指定都市の首長としての見識を示すとするなら、伐採を待つ残りの20本でも30本でも残すことだろう。もし、残せることになれば、その判断は逆に、後々の後世まで加山市長の「美談」として語り継がれることだろう。

 

●加山市長政権の最大失策 取り返せない自然破壊

 11月28日にも書いた樹齢50-60年の街路樹(市の木「ケヤキ」)約200本の伐採は、現加山市長の政治人生最大の失策となろう。どんな素晴らしい実績を残そうと、この一件ですべてパアだ。

 条例公布や制度改革は、後刻、訂正や削除、原状復帰が可能だ。しかし、「市の木」の大木約200本の伐採は、もう、取り返しがつかない。相模原に緑を、と願った先人たちの思いは無残に踏みにじられた。環境破壊、景観破壊の罪は償いきれない。
kirikabu.jpg  koujichuu.jpg taikichuu.jpg <<写真はクリックで拡大>>

 相模川の河岸段丘の最上段に位置する中央区星が丘の周りは、何もない畑地だけだった。第2次大戦中に相模陸軍造兵廠へ勤務する従業員向けに、畑地の中に約600戸の県営住宅が建築された。これが星が丘の始まりだ。

 周りには建物は何もなかった。県道52号(スーパーOKの前を上溝から淵野辺へ伸びる道路)より南、県道507号(通称・村冨線、OKの脇を南北に走る)の東、とんでん星が丘店から県相へ抜ける通りの北、そして市役所から上溝へ抜ける通りの西側には、畑以外、何もなかったのだ。

 つまり、この4本の道路に囲まれた地域が、星が丘の「旧住宅地」である。もちろんいずれの道路も砂利道。県道52号などは田名の相模川で採取した砂利を積んだトラックが、何台も列をなして、モウモウと砂ぼこりを立てて毎日走っていた。

 現市役所通りにはもちろん植木1本もなく、星が丘から16号線までに大きなロータリーが3つもあった。星が丘からは16号線を走るクルマが眺められたものだ。西には大山と丹沢山塊があり、今はこもれびの森として往時のままを保存されている林があり、われわれ棒きれを振り回して飛び回っていた少年たちには、格好の「冒険」地域だった。

 そういう畑と雑木林しかない相模原に、計画的に街路樹を植え、将来の緑化住宅地を目指したわれわれの父親世代は、ボランタリ-で労力を提供し、県道52号にはケヤキを、市役所通りには桜を、星が丘小学校にはイチョウを植林したのであった。

 今では、それらの木々は大きな樹木となり、市役所通りは市民が喜ぶ桜通りに、星が丘小学校では夏の緑陰や秋のギンナンの収穫で子供たちを喜ばせ、52号の「市の木」のケヤキ並木は、四季を通して市の道路を象徴する存在だった。

 そのような先人たちの志と労力を一顧だにせず、200本も一気に伐採するとは一体どういう了見なんだろう。既に県政レベルで決定したことを、政令指定都市となり引き継ぎ事項だと言い、「はい、そうですか」とそのまま鵜呑みにするとは、どういうことなんだ。

 これは、市長をはじめとして市職員が、市の行く末をチャント考えていない証左と言える。相模原市の職員は、最近、経済産業省を辞任した古賀茂明氏の近著「官僚を国民のために働かせる法」で活写されている霞が関官僚の無能官僚以下と言っても過言ではない。

 その内、市役所通りの桜並木の花びらの清掃や星が丘小学校のイチョウの枯れ葉の清掃が大変だから、ぜ~んぶ切っちゃえ、なんていう状況が来ないことを祈りたい。

 相模原は筆者の生まれ故郷である。よそから移住してきた人達は、もし自分の田舎の神社やお寺の、昔からある大木が、後から移住してきた人達の意見でぜ~んぶ切り倒されても平気なのかなぁ。

 加山市長は、在任中にどんなに素晴らしい実績を残そうとも、この大罪は決して原状復帰できないし、むしろマイナス評価の市長としてその名を残すであろう。

「相模原市ブランド戦略会議」、おいおい大丈夫かよ。

*** 
11月8日、「第1回相模原市ブランド戦略会議」が開催された。

 これは平成20年3月に策定された、シティセールス推進指針の基本目標の

①「訪れて楽しい都市」
②「住んで快適な都市」
③「企業にとって魅力的な都市」

――の実現には、相模原市のブランド力の向上が必要不可欠ということで、全市的なシティセールス推進体制のもと、専門家委員等で構成する同戦略会議の設置準備を行ってきた、その第1回の会議である。
***

 以上、市のホームページから引用。文章はわかりやすく一部修正。○番号は筆者加筆。

 基本的に市のこの策には賛成だが、いくつかの欠落点を指摘しておきたい。

1)①~③の三つの都市の内容が不明確  

 これから同会議で議論されると思うが、その内容をどのように規定するかが、極めて大事だ。それは市がどのような方向に行くかの大前提になるからである。

 人類は古くから、生きている大地の上に棲息する動物、植物、鳥類、そして水辺の生物と共に生きてきた。相模原の住人も例外ではない。市の博物館には、縄文時代より以前から相模原に住み着いた人々の生活ぶりが詳しく展示されている。

 その生きている大地の上で、人類は動物、植物、鳥類、そして水辺の生物から恵みを受け、今日に至っている。

 人類はこれら他の生物と同等の生命価値を持っている。人類の至便性や物欲と、金銭欲のためにこれらを踏みにじって良い訳がない。

 しかし、昨今の当相模原市では無政策に住宅を増やし、生きている大地はコンクリートで塗り固められた。庭もなく、車一台の駐車スペースもコンクリート、転んだ幼児が膝を擦り剥くのはコンクリートという情けない非人間的住宅環境に陥っている。

 必要なき高層ビルで市の景観はズタズタにされた。昔は、市のどこからも丹沢山塊の南から北までがが見渡せた。小中学校の校歌にも歌い込まれている。初雪がかかったの、雲がどこそこにかかっているのといって、景観の楽しみや観天望気ができたものだ。

 この会議で、例えば②の「住んで快適な都市」という時に、コンクリートで生きた大地を埋めて建設した住宅状況を是認するのか、「市の木」である直径40~50cmもあるケヤキ200本の街路樹の伐採も是認するのか、市民はそこを良~く注視する必要があろう。

 あのケヤキ並木が、行く末は箱根や日光の杉並木のように大きくなる楽しみを、無為無策でボンクラ市官吏は市民から奪った。決して取り返しのつかないことをした。政令指定都市になり、県からの申し送り事項を丸飲みにしたのだ(市土木部道路管理課の話)。

 市民に選出された市議会議員の誰ひとりとしてこれに異議を唱えていない、この問題意識の低さには呆れるどころか笑止千万である。市議会議員は、概念の小さい、便利屋でも出来るような、選出団体への利益誘導活動ではなく、大所高所にたった未来の相模原づくりに腐心して欲しいものだ。

 このような、人が住む基本的な環境への卓越した見識が、会議の構成者に、まず必要であろう。

2)会議の構成者
 同会議の仕切りは、プラップジャパンというPR会社になっている。その他、雑誌編集長、学識経験者、学生などから構成されている。いつものことながら、同社は内容や予算の競合プレゼンをやって選定されたんだろうな、とまず心配する。

 PR会社がこの種のプロジェクトを仕切るのは、ひとまず「正解」だろう。PRとはコミュニケーションの総
体だからである。広告代理店では無理がある。コミュニケーションのひとつである広告の専門家だからだ。

 筆者の専門分野のひとつはPR(パブリック・リレーションズ)で、これまでに、フォード自動車、コダック、ロレックス、ペプシコーラ、ジョニーウォーカー、ケロッグ等々国際企業のPRを担当してきた。

 ヒル・アンド・ノウルトンやエーデルマンといった国際的なPR会社と関わったこともあるし、グッドイヤー・ジャパンでは広報部長を務めた。プラップジャパンもよく知っている。

 問題は、構成員の中に本当に相模原を愛する者がいるのか、相模原を良く知っているものがいるのか、という点である。

 相模原に市制がしかれた時は、人口8万人である。いまは72万人。ほとんどが移住者だ。そしてこの人たちの多くは、山や川、海に恵まれた「いなか」があるのだ。心を病んだ時や災害時には「緊急避難的に」帰るところがある。

 だから、市の中がコンクリートで埋め尽くされようが、大樹を多数伐採しようが、大山や丹沢山塊が見えなくなるビルが林立しようが、ただ便利になり、東京へ近くなればそれでいいのだろう。誰も異議を唱えない。子供の教育にも興味が薄い。

 ホームページを見ると、構成員のほとんどが相模原に関係のない人達である。表面的なかっこよさや便利さ、金銭欲だけで内容が規定されないことを望むのみ。

3)「NOと言えるのか」
 広告PR代理店や広告主側など、広告PR業界に長くいていつも思うのは、クライアント側(依頼者側)の無能である。広告PR代理店側には、その分野においては優秀な人材がたくさんいる。

 良いアイデアも出てくる。しかし問題は、クライアント側に提案の良さや不完全な点、改善点、予算案の正統性をピシリと指摘できる人間が、まずいないことだ。 

 この業界では、金持ちのボンクラ坊っちゃんを上手く説得してカネを出させるようなことが良くある。特に予算案のどこに下駄をはかせているかなどは、業界経験者でなくてはわからないだろう。

 広告PR代理店の性悪説を主張しているのではない。

 そういう点では、生まれも育ちも相模原。郷土愛は人一倍強い。PRの専門家で東京や世界のPR業界にも精通している筆者なんか、提案チェック側の絶好の人材だけどなぁ(笑)。
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